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2019年6月の3件の記事

2019年6月 5日 (水)

僕たちは希望という名の列車に乗ったを見てきました!

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。

 

「僕たちは希望と言う名の列車に乗った」A


すばらしい!実話です。も、素晴らしいとしか言いようがないです。これもぜひ多くの人に見てもらいたいです。


当時の東ドイツ、社会主義・全体主義の名の下に、個人を無視しまくっているのがとてもよく描かれています。


はい、今の日本社会と全く同じです。今の日本、以前から私も書いていますが、この日本は世界で「最も成功した社会主義国」です。全体主義。クソ自民党がずっと続いていますが、まさに独裁政権以外の何物でもなく、いまのクソ安倍は、多くの日本人が嫌う中国や北朝鮮と同じ、独裁者です。あなたたちが嫌う独裁者と同じことをしているのは、クソ安倍であり、奴の取り巻きであり、そしてそれを許している自民党であり、そんなクソ人間を選んでいるこの国の国民自身が腐っているのです。


社会主義国では、国家に仇為すことはすべて害悪です。そして、そのためならいくらでも虚実をでっち上げるのです。はい、これもまたいまのクソ安倍政権がしていることそのままです。モリカケ問題、統計問題などなど、その度にクソ安倍は「国民に真摯に説明する」などと言いましたが、一度としてそれをしたことがありましたか?え?どうですか?ないですよ!一度としてないです!まさに、息をするように嘘をつき、自分にとって都合の悪いことには口をつぐみ、嘘を並べ立てて国民を煙に巻く。この映画で描かれている東ドイツも当時全く同じです。


えげつないのは、たかが子供です。まだ18になるかならないかの子供達の、自分の頭でものを考えて、決断し、行動することを「権力」で抑えるつけることです。これもまたいまの日本の教育と同じですわ。当時の東ドイツも、いまの日本教育も、国家にとって都合の良いように、何も考えずに動くロボットが欲しいだけなのです。自分で考えて、決断し、動かれては困るんです。なぜ?国が間違っていることを証明されては困るからですよ!国の言うことにハイハイと疑問を持たずに、ロボットとなって従って動いてくれる方が都合がいいのです。


いまの日本警察で行われていることを、この映画で見事に描写されています。えぇ、警察がいつも使う、容疑者の「家族」を生贄にするのです。容疑者本人を追求するならまだましですが、そうじゃない。全く関係ない(はず)の家族を生贄にし、嘘の証言を得ようとする。も、いまの日本警察が取り調べという拷問で行っていることは、第二次世界大戦後の東ドイツで行われていたことと全く同じということです。よくわからない?なら例をあげましょうか?痴漢冤罪です。痴漢の容疑者として捕まった時、警察がいつもいうのは、


「家族や会社に知られたくないだろ?素直に認めて罰金を払えばそれで済むんだよ」


です。結局、冤罪であっても弱い心の人なら、金を払えば会社や家族に迷惑をかけなくて済むと考え、痴漢をしたと認めてしまいます。ここで逆に、自分は無罪だと主張すれば、拘留延期などになります。こういうことをしているいまの日本警察が、当時の東ドイツとどこが違います?更に言えば、ゲシュタポや特攻警察とどこが違いますか?全く同じなのですよ。戦後70年以上経っても、未だ日本の警察というのは、公安をはじめ、戦中のファシズムそのもののままです。どこが民主国家?なにが先進国なんだか。再度書きますが、この国は社会主義国家です。


嬉しいのは、最後の場面です。この子供達は、まさに「希望という名の列車に乗った」のです。いまの日本でも、優秀な若手は国外に出て行ってしまってます。日本にいては、一向に認められることもなく、逆に搾取され、老害によって潰されることがわかっているからです。なら、自分が自分でいられ、自分の能力を認めてくれるところに出て行くほうがいいに決まってます。えぇ、私もチャンスがあれば即座に出てきたいですわ。

2019年6月 4日 (火)

ゴジラ キング・オブ・モンスターズを見てきました。

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。

 

「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」D


あ〜、ゴジラファンとして、見ておかなくてはいかんよなぁ〜と。ん〜、どうしてもハリウッド版ゴジラは、巨大なイグアナとしかとらえていないのか?と思えて仕方がないです。シン・ゴジラのように、人類が未知の生物ならまだましなのですが、どうみてもイグアナの変異体です・・・。情けないわぁ〜。前作の時も、ハワイのホテルをぶっ壊すシーンは楽しかったですが、それ以外はまさにアメリカ万歳映画でした。今作もきっとアメリカ万歳映画なのだろうなと思いながら見にいきました。


個人的には、シン・ゴジラと一番最初のゴジラが一番面白いのです。その姿でいうなら、シン・ゴジラが一番美しく思います。一番生物的かつ、現実的であり、恐怖感しか与えないから。しかしながら、ハリウッド版ゴジラは、その姿が醜く思えて。ま、これは個人差があるでしょうから。
さらに付け加えるなら、キングギドラの描写がなぁ〜。外来宇宙からの生物なのですが、その振る舞い(三つ首の頭の振る舞いです)が、なんかこう納得いかないというか、野生動物じゃんという感じがして。人間などおよびもつかない生物のはずです。そう、第1作目のエイリアンが完全生物であり、人間の考えなど及びもつかないと描写されたのと同じでは?ですが、今作ではどうにも、たんなる野生動物並みと描写されているように感じて仕方がないです。そのキングギドラまで、人間の考えた方法で影響を受ける?なにそれ?どこまで人間の知識(知恵とは到底言えません)が、未知の生物まで影響すると考えるのか?傲慢ですわ。


ネタバレ?になりますが、ゴジラが体力回復している場所のことで、大変な違和感が。潜水艦という鉄の塊ですら近づくことが危険な場所に、単身簡易潜水艇で「とある人」が乗り込みます。アメリカ映画だからなのでしょうか?放射線というものをものすごく軽く扱っているとしか思えません。そう、もともとゴジラは、人類の狂気の沙汰である原水爆実験で生み出されたものです。その狂気の沙汰に対しての反対表明でゴジラが生み出されたもの。そして今作では、そのゴジラが放射線で回復している場所に一人の人間が簡易装備で(どうみても鉛の塊の防護服ではないですわ)いどみます。潜水艦ですら近づけないところに、そんな装備で生きている人間が近づけば、即死でしょう?思うに、福島原発事故後の、メルトダウンしている場所に今現存する防護服だけで近づくようなものでしょう。未だに、その場所には誰も近づけないのですよ?近づけば外部被曝で即死だからです。結局、この映画で述べているのは、原水爆は必要、なおかつ、放射線の恐ろしさと言うものの軽視ということなのです。ゴジラを活性化するために原爆を使います。そして、それを使うために犠牲になるのは日本人。(あ、ネタバレか?)なにこれ?結局、世界を救うためには原水爆が必要であり、そのためには犠牲が必要であり、その犠牲は日本人でいいのだ、と言っているの?もうね、正直腹わた煮え繰り返りましたよ。この監督も、結局無神経で無知蒙昧のアメリカ人でしかないのだなぁ、と思えます。劇中、中国人もアメリカ人もいくらでも出てくるのに、犠牲になるのは日本人だけ。それも研究者という一般人。周りにはアメリカ軍人という、本来なら他者を守るために存在する職業の人間がいくらでもいるのですよ!ところが、この軍人たちは一切「自分が行きます!」と言わない。一般市民の日本人研究者が犠牲になるのを、ただそのまま見送ります。なにこれ?さらに、他の国の人間も、だれも「自分が!」と言わない・言わせない。なにこの出来レース。この映画を見て、皆さん腹が立ちませんか?ここまで日本人は見下されているのですよ?世界のためなら(と言いつつ、結局はアメリカという国のため)に、いくら殺されても構わないと描かれているのですから。どうせここまで風呂敷を広げたのなら、メキシコ湾岸ではなく、ワシントンに上陸し、ホワイトハウスを含めた首都や他の名だたるアメリカ都市を破壊し尽くしてこそでしょうが!さらに、逃げようとしたアメリカ大統領をキングギドラが殺してこそ!それをして初めて「怪獣映画」と言えません??!(いまだにシン・ゴジラをなんども見直しては、ゴジラが日本の総理や閣僚を乗せたヘリを撃ち落とすシーンで『イエス!!!!!』と喝采をあげる私です。!!こんな痛快なことはないです!!)前作では、被害にあったのはハワイだけです。そう、アメリカの本土から遠く離れた場所だけでです。(最終戦闘場所はカリフォルニアだったか?どちらにしろ、アメリカ首都じゃないですよ。結局地方都市どまり。)今作でもメキシコ湾岸。アメリカ本土は被害にあってないです。書いていて、ムカムカしてきますわ。ついでに言うと、メキシコの人々もラドンによって大変な目に合うシーンが出ますけど、アメリカ国内は確かデトロイトだけだったような・・・。しかも、そのデトロイトでアメリカ人たちが大量に死ぬシーンはなく、むしろ軍が積極的に脱出させるシーンだけだったような。メキシコでは、次々に民間人が死ぬのに。やっぱり、個人的にはシン・ゴジラのほうが、今作品より100万倍はまとも!と思えてしまいます。


監督へ。もともとゴジラは怪獣を描いたのではないです。怪獣はオマージュです。人間というくだらなく愚かすぎる生き物が作り出した原水爆という、全く不必要なものに対する反対表明です。なぜ、そのことに気がつかない?なぜ、理解しない?やっぱり気軽に原水爆実験を繰り返し、自分たちの都合の良いように原水爆拡散禁止などという輩たちの国の人間では、そのことが理解できないのかも。そして、あなたが無意識でしょうけど、日本人を見下していることも。口で言っていることとその心が違うことが丸わかりですよ。まるで京都の洛中の人間みたいですわ。


あぁ、この映画でオキシジェン・デストロイヤーも出てきます。が、それを使った後に浮かび上がってきたのは魚だけ。おいおいおい、そんなはずないだろうが?!ここでもアメリカ人監督だからなのか、それともプロデューサーからクレームが入ったのか、一切そこに「イルカ」と「クジラ」の死骸を入れていないという不自然さ!!!メキシコの沖合いです。カリブ海でしょう?なら、イルカやクジラがいる方が普通です。そして、広範囲の生物を皆殺しにするオキシジェン・デストロイヤーを使ったのなら、当然いるはずのイルカやクジラも殺されるはずです。だけどその描写は一切ない。なにこれ?そんな描写をすれば、イルカやクジラの保護団体からクレームがついたり、もしかすると資金援助が無くなるから描かなかったの?日本だけを追求している、そういったテロリストとも言える保護団体を敵にしたくなかったの?と、私は感じましたね。あ、そうか。劇中で描かれるテロリストは、極端な環境保護主義者たちでしたね。監督ももしかしたら(もしかしなくても)こういう極端な環境保護主義者たちと同じ考えなのかな〜。多分そうなのだろうなぁ。

 

正直、見た後のがっかり感は、アニメ版ゴジラの三作目を見た後とほぼ同じぐらいでした〜。ギリギリ金返せと行かなかった作品です。

 

あと、次の作品は間違いなく(途中で制作破棄されなければ)キングコング対ゴジラですわ。阿呆らしい。これは見に行かないです、私は。バカなアメリカ人の好きな、「どちらが強い?!」というくだらない映画でしょう。結局決着はつかず、どちらも強いんだよ〜で終わることが目に見えてますわ。この次の映画のために、伏線張り巡らせすぎ。ドクロ島は劇中なんども出ますし、キングコングらしい姿をエンディングでモロ出しです。なめとんのか!と言いたい。

2019年6月 3日 (月)

映画感想簡易版です

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。

 

映画感想簡易版です。(という割には、書き込んでしまっているような・・・。)

 

「ザ・フォーリナー」B+
ジャッキーの渋い面が前面に出て、思ったより面白かったです。ピアーズ・ブロスナンとの対比がなかなか。しかも今作では、ジャッキーが久々にちょこっとカンフーを使ってくれます。ま、彼の設定に対しては盛大な疑問符がついてしまうのですけど。
イギリスではいまだに内紛の下火がチロチロと燃えているのでは?と私も思います。今回のEU離脱騒ぎで、その下火が一気に燃え上がるかもしれないな、と思えてしまいます。ほんと、宗教というのは、特にキリスト教というのは間違っているとしか思えないですわぁ。イスラム教もその原理主義はおかしすぎますけど、キリスト教の方がもっとおかしいと。いまだに、特にカトリックの聖書絶対主義(まさに原理主義ですし、しかも時の権力者たちによって改変され続けてきた聖書というものを絶対視するのがおかしいですわ)が、様々な問題の原因としか考えられないです。

 

「パリ、嘘つきな恋」A -
コメディーで、笑いたくて見にいったのですが、これが思ったより笑わせてくれると同時に、いろいろ考えさせられた、実に素晴らしいコメディードラマです。これは多くの人に見てもらいたいです!
障害者、健常者、そんなこと関係なく、結局人は「自分自身を受け入れるかどうか?」ということを問いかけています。どうですか?ほとんどの人は、自分自身を受け入れていないのでは?かくいう私も昔はそうでしたので。正直、自分を受け入れていないのに、他者を受け入れることはできないです。私もこれができるようになったのは、離婚した時ですね〜。そういう辛い体験があって初めて自分を受け入れることができましたので。私の患者さんたちで、私の離婚前から治療を受けている方なら、多分わかるかと。まず間違いなく、私の離婚後、私の治療技術が変わってます。あえて言えば、深化していると。そういう意味では、離婚は私と患者さんたちにとっての僥倖と言えます。あと、これは手元に置いておきたい作品の一つです。

 

「武蔵ーむさしー」C
宮本武蔵を描いた時代劇です。ま、普通、と。殺陣シーン、もうちょっとなんとかならんものだった?と思うことがしばしば。これが良かったら、個人的には大変満足できるものになったのに、と思います。「バガボンド」などで武蔵のことを知っていると、より楽しめるかもしれません。
この映画で特に良かったと思うのが、藩の、つまり今の政治屋や官僚と同じ立場の人間たちの考えることが、当時も同じだったのでは?と思わせることです。いや、逆に監督としては、今の腐りきっている政治屋や官僚たちへの当てつけだったのでは?とも思えます。有能な人間を登用し、その人間が正しいことを述べているのに、自分たちの意向に沿わない、つまり自分たちの利益にならなければ(藩の人たち全体ではないことに注意!)、巧妙に切り捨て殺す、というのは、現代社会でも全く同じです。江戸時代から200年以上経っていても、未だに人間って変わらないですわぁ。腐った輩が上に登り、多くの人たちや有能な人間を使い潰す現状、なーんにも変わっていません。

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