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2019年1月の3件の記事

2019年1月23日 (水)

インフルエンザと普通の風邪の違いに対して、敏感になってください。

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。

 

 

どうも、多くの人がインフルエンザと普通の風邪の区別がついていないような。

 

 

気を診て治療しているものからすると、なぜ現代人はこれほど「自分の体調を無視するのか」?ということに、疑問を持たざるを得ない体験を、10年以上しています。

 

 

普通の風邪とインフルエンザ、明らかにその体から感じる不調が違うのですよ。その不調の違いを、なぜ普通の風邪とインフルエンザを一緒に感じるのか、その不感を大変不思議に感じて仕方がないです。

 

 

一般的に、インフルエンザは

 

  • いきなりの高熱(38.5度以上の発熱)
  • 体中の関節の痛み

 

です。

 

 

普通の風邪は、そこまでの発熱がないとはいいませんが、基本38度前後の発熱であり、体中の関節の痛みを感じることはまずないです。

 

 

ですが、多くの人はインフルエンザと普通の風邪の違いを感じていないのです。

 

 

東洋医学の専門家として、ここまで自分の体調を無視している患者がほとんど、ということに対して、背筋が凍るほどの怖さを感じて仕方がないのです。

 

 

インフルエンザと普通の風邪は、あきらかにその感じ方が違うのです。上記の通り、その発症の違いからして違いますが、それを無視する現代人の「感覚」に対して、心底怖気を感じるのです。

 

 

同時に、今の内科医(風邪の時にかかる医者は、そのほとんどが内科医でしょう)の診断技術の無能さと低下ぶりに、同じく背筋が凍ります。

 

 

現在、インフルエンザとおぼしき患者がきたら、すぐに簡易検査キットに頼るのが、今の医者です。残念ながら、その簡易検査キットの感作率、つまり「正答率」は60%に届くかどうか?というのが現実です。10人のインフルエンザ感染者が検査を受けても、最低4人は「陰性」、つまりインフルエンザ感染していないと判定されてしまうという事実なのです。このことに、どれほどの医療者と患者双方が理解しているか?ということが大問題なのです。

 

 

私も過去(10年以上前)に、インフルエンザの簡易検査キットで検査を受けて、インフルではないと判断され、そのまま帰された経験があります。その二日後にまたその内科に行ったら、症状だけで「あ、インフルですね」と言われました。一番最初の診察の時、患者(私自身)から、これは普通の風邪とは違うと訴えたにもかかわらず、医師は「検査で陰性ですので『インフルエンザではありません』」といい、何の処方もありませんでした。その夜に私は39度超えの発熱をしたのですが。

 

 

皆さん、どの人も10代になるまでに、最低でも一回は普通の風邪を引いていると思います。その経験を覚えているはずです。その過去の経験を思い出し、もし今インフルエンザに感染してその症状を比べたときに、そこに差があるのなら、それをよくよく観察、そして判断してほしいのです。

 

 

もともと、西洋医学も患者の訴えをその基本にしていました。第二次世界大戦後、急速に検査機械が発達、患者の訴えより検査結果を重要視するようになってしまいましたが。ですが、今の西洋医学、ヨーロッパやアメリカでは、検査結果よりも患者の訴えを重要視する昔ながらの診断を再度最重要視しています。(原点回帰と言えましょう。)日本だけが、未だに検査結果だけを最重要視し、患者の訴えを無視し続けているのです!

 

 

この事実に対して、私のように声を上げている医師もいないわけではないですが、そういう医師は私同様、その発言は握りつぶされています。それぐらい、医師会、製薬会社、厚労省、そして日本政府が、患者をいくら死なそうが、自分たちにもたらされる利権と金の方を最重要視しているという事実に他ならないのです!

 

 

以前も書いていますが、インフルエンザに感染するとその症状は普通の風邪とは違います。その違いに敏感になるように!自分で感じたものは、決して間違っていません!

 

 

正直に述べますが、インフルエンザに対しては、西洋薬より漢方の方が最低でも同等、実際にはそれ以上の効果をもたらします。疑いを持つ人は、一度インフルエンザに感染したときに、漢方を試してみるべきです。試すこともなく、西洋薬の方がいいと盲信する人は、その結果も刈り取ってください。タミフルはすでにWHOからも効果がないと正式に公表されていますし、今年でたゾフルーザも、その副作用と変異型RNA排出(ウィルスの薬剤耐性を高める)ことを、マスコミが全く報道していないこと、医師会もなんら報道していないことからかんがみても、製薬会社と医師会の癒着ぶりを、いとも簡単に想像できますわ。

 

 

こう書いてますが、それでも西洋薬を選ぶのなら、それはその個人の選択であり、致し方ありません。その結果はその人自身が刈り取るだけです。ただし、その人自身であり、その人の家族などの肉親や友人には、全く関与しないということ、よくよく考えてくださいね。

2019年1月15日 (火)

メガネをなくしたので新調せざるを得ない・・・

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


先日、映画を見に行くためにいつものナップサックに入っているはずの中身を確認。あれ?あれれ?最重要のメガネがない・・・。コートやアウターのポケット、他のバックパック、ズボンのポケット、施術着、洗濯機の中を調べてもない・・・。う〜む、どうやらメガネをなくしたようです。(どうやって?と聞かないでください。私自身、全くわからないのですから。😱)


しょうがないので、メガネがないまま映画鑑賞。う〜む、ぼやけが出てしまうのと、映像の細かい文字が読めない・・・。(ですが映画自体はとても面白く、むちゃくちゃ楽しめました!感想は後日。)こういうとき、字幕があまり見えなくても助かります。


万が一の車の運転のためにもメガネは必須です。ということで、今日、覚悟を決めてメガネを新調してきました。く、生活が苦しい中、メガネ代が・・・。😭


30グルルル〜〜〜〜ン歳の私(これを読んでいる患者さんたちの「嘘つけ!」という声は聞き流します!本人が30代だというのだから、正しいのです!)、久しぶりに視力測定してもらったら、以前より数値が落ちていてびっくり!え?!そんな数値なの?!と。まぁ、視力はその時の体調などにかなり影響されます。それでも今日の数値には内心かなり驚きました。(顔に出ていなければいいのですけど・・・。)久しぶりの眼鏡新調と、生活が苦しくなるという事実からくるストレスが視力に影響したことは否めません。(言い訳ですか?)30ウキャ〜〜〜〜歳で少々老眼が入っていることも自覚していましたが、それも数値で明確に・・・。乱視がほとんどないことが救いです。


今回は時間がないので単純に近視用のレンズにしました。遠近両用にすると1週間はかかるので。ま、体調によって視力は変わるし、まだ30ドゥルルルルル〜〜〜歳の私ですから、まだ遠近両用などのレンズは必要ない!と割り切った結果です。


混んでいたので1時間ちょい後の受け取りでした。ま、それぐらいなら時間を潰すのは慣れていますので。フレームは、耳殻に引っ掛ける普通のものではなく、スポーツ用の側頭部で支持するものを選びました。帰り道(いつも片道30~60分程度なら歩いて筋トレをする私です)新調したメガネをかけて歩きましたが、側頭部には圧迫感が出ませんでしたので、これは正解かと。今後使ってみて違和感が出たら調整してもらいます。それでも、メガネをかけることによって遠くがよく見えることは新鮮です。2.0の視力があった頃が懐かしです・・・。


ちなみに、無くなったメガネは私が結婚していた時に作ったメガネで。それが無くなったということは、ある意味縁切りも含まれているのでは?!とつらつら思った次第です。(期待しすぎですか?)


しかし、今回の眼鏡新調代、き、きびしいですわぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜!!!次作るのは、遠近両用か中近両用かなぁと思う次第です。というか、作った方がいいのかなぁ〜??日々の生活が・・・。😱😭

2019年1月 6日 (日)

イット・カムズ・アット・ナイトを見てきました。

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


「イット・カムズ・アット・ナイト」を見てきました。個人的ランクC-。公式サイトはこちら


う〜む、ホラー映画だと期待していたのですが、これはどちらかというとホラーではなく、サスペンスでは?とおもえます。


夜の闇の中にいる「なにか」を決して映像化しないのはすばらしい!映像化しないから、それは見ている観客の「想像」に任せられるのであり、その方がよっぽど怖さを作り出します。


見終わって感じたのは、この映画はゾンビ映画のそれと同じだな、ということ。一番怖いのは、人の狂気というか、その心のあり方が一番怖い、という真実をこの映画は描き出していると感じたからです。他者を信じず、自分の考えが一番正しいと「思い込み」、それに従って行動する。これって、テロリストやISIS、KKK、果てはキリスト教原理主義者や銃器原理主義者(という言葉があるのかどうか)のNRAどもと全く同じです。他者を受け入れるという寛容さが全くみられません。この映画では、途中でちょっとその寛容さが見られたかな?と思ったら、あっという間に急転直下。人って、どこまでいっても分かり合えないのだろうか?分かり合える時というのは、この映画のラストのように、もう誰も助からないところまで行った時だけなのか?と、悲しくなります。


あと、この映画は今のアメリカ社会をはじめとする、他者を排除してでも自分たちだけが生き残ればいいという排他主義を象徴していると感じましたが、どうでしょうか?その結果はどうなるか、ということも含めて。


直に見せつけるモンスターなどを期待している人は、これを見ない方がいいですよ。冒頭にも書いた通り、「それ」を見せることは一切ないので。むしろ、見終わった後、あれはどういうことだったのか?等々を色々思い出して悩むのが楽しみかと。


人の心の闇というものは、いったいどれほどの深淵であり、その深淵には何を飼っているのか?と感じずにはいられません。

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