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2018年12月 8日 (土)

人魚の眠る家を見てきました。

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


「人魚の眠る家」を見てきました。個人的ランクB+。


いやぁ、これはもう、医療者は必ず見ておくべき作品かと。同時に、今子供がいる、孫がいる方も見ておく方がいいでしょう。なぜって?日々、この作品で描かれているような悲劇が、日本中で起こっているからですよ!何もこの作品のようなプールで溺れたというだけではなく、交通事故でも、虐待でも起こっています。


私自身は20年以上前から骨髄バンクにも、臓器ドナーにも登録しています。理由?私ごときの骨髄や臓器で助かる人がいるなら、そしてその人はきっと私以上に命の大切さを理解しているでしょうし、社会に、他者に対しての思いやりに溢れているはずだと思うからです。


しかし、この映画を見ていて泣けませんでしたが、考えさせられるシーンが続きました。医療者として、親として、一人の人間として。

  • 自分がこの子供の立場だったら?
  • 自分がこの子供の親だったら?
  • 自分がこの子供の主治医だったら?

などなど考えられたわけで。う〜む、久しぶりに多角的に考えさせられた映画です。これは「私の中のあなた」以来ですね。


しかし、医療者としても、一人の人間としても、果たして技術でここまでしていいものか?と思うことが表現されます。私としては、これはやりすぎであり、人間をモルモットというか、ロボットとして扱っているとしか思えなかったです。見た人にわかるように書きますと、娘に笑顔を浮かばせるシーンです。ここまでするっていうのは、親のエゴ?技術者のエゴ?どちらにせよ、生命倫理の観点からも、一線超えてしまったと思えました。これって、脳死状態の娘の祖父が息子である父親に淡々と告げる台詞でもあります。「お前のしていることは、超えてはいけない一線を超えている」と。つい先日あった、遺伝子改変ベビーを作り出した中国の件を思い出させます。全く、今の人類は、その科学を「何をやってもいいという免罪符」として使いまくっています。武器にしても同じ。これって、手にしているものがどういう結果を及ぼすのか全く知らずに使っている・使おうとしている幼稚園児と全く同じなのです。つまり、現生人類は実に幼稚で未熟だという証明なのですが。このこと、どれほどの人が理解してます?原発も、原爆も全く同じです。未熟な幼稚園児が使っているのが現状です。政府も、政治屋、官僚、知識人と呼ばれる無知蒙昧な輩どもも、自分たちの利権と金だけに執着しているダニであり、未熟な幼稚園児以下のもっと未熟な生き物です。


この映画、意識があるからこそ人間なのか?脳死状態でも心臓が動いているから人間なのか?ということを問いかけてきます。その回答は人それぞれでしょう。そして、日本の脳死についての法整備は世界でも類を見ないほどいい加減というか、曖昧です!西洋諸国では、脳死と人の死を明確に一致させているようです。これって、人間をあくまで物質と捉え、魂や霊魂というものが存在しないと考えているからだと思います。人間を物質と捉えているから、脳死も心臓死も全く同じであり、脳死状態で心臓が動いていても、脳という物体が死んでいる以上、それは心臓死と同じという人体全てを機械と同じ部品と捉えている証拠と思えます。


ひるがえって、曖昧模糊とした日本の脳死条件。よく捉えれば、日本人の死生観が現れているのでは?と思えます。魂と人体を区別していない。良くも悪くも、これが日本人の宗教観なのかも知れません。それゆえ脳死と心臓死の境界が曖昧になっています。それがこの作品に如実に現れてきます。


その境界の曖昧さが主人公の母親に言わせるわけで。この子を殺して殺人罪で裁かれれば、この子は「生きていた」と証明されることに。逆に裁かれず、無罪となれば、この子は「既に死んでいた」と証明されてしまいます。さて、医学的にほぼ脳死状態の人間をどう扱うのが正しいのでしょうか?死んでいる人間を、もう一度殺すことはできません。既に死んでいるのですから。でも脳死状態の人間を殺したことで殺人罪になれば、脳死という規定それ自体を否定し、脳死判定それ自体が間違っているということになり、脳死判定により臓器移植したこと自体が殺人罪となります。あなたはどう思います?脳死状態の人の心臓を止めれば殺人ですか?無罪ですか?


この作品、医療者としての目線で見てしまうシーンがほぼ8割でした。親として考えるシーンは少なかったですが、ほとんどの人は親としての目線で考えてしまうのではないでしょうか?


娘の主治医が父親に問いかけます。

 

「脳死か心臓死、どちらが本当の死だと思いますか?」

と。それに対して父親が答えます。

「どちらかといえば、心臓死です」

 

医師がそれに対して答えます。

 

「ならばお嬢さんはまだ生きていますよ。誰かの中で」


これって、私が骨髄移植にサインした時と同じ考えです。私が移植にサインした時、見せられたドキュメンタリー映像を見て、まだ10歳にも満たない子供が、代わりの骨髄が移植されれば生きながらえることができ、その結果この世に社会に大切なメッセージを伝えられるのでは?と思ったのです。私もこの映画を見た後で、まだ子供たちに私が骨髄移植や臓器ドナーにサインしていることを話していないことを思い出しました。次に会った時に、このことを伝え、私に何かあって臓器移植となっても、私自身は死んでいない、どこかもっとこの世でなすべきことをなす人たちの中で生きているという「事実」を教えなくては、と思った次第です。同時に、子供達自身に何かあった時に、どうしてもらいたいか?ということを聞いておかなくては、と思いました。子供に酷なことを聞くな!という、実にくだらないことを言い出す人間が必ずいます。何が酷?子供がいつなんどきでも死なず、必ず親から大人から死ぬという100%の保証があるの?ないでしょ?そういう事実を全く想像・理解できない輩なら、黙っていろ、と私は言い切ります。


私がこの娘の親だったらどうする?どれほど悲しくても、私なら娘の脳死を受け入れ、臓器ドナーに同意します。冒頭で母親が脳死状態の娘の手を握ったら、娘の指が動いたからまだ娘は生きている!となって物語が始まったわけです。私自身、医療者だから、これは反射だと理解します。また、霊的に見ても、この時に娘の指が動いたことを娘からの「了承とお別れ」ととります。西洋医学では反射であっても、この世に偶然は存在せず、すべては必然だと理解している私から見れば、そう取れます。あと、すぐまた娘に会えるのです。現世では30年から50年ですが、あの世では一瞬にすぎませんし。


この映画を見て、改めて霊的な理解がこの世ではもっともっと広まるのが大切だと、つくづく思いました。死は単なる状態の変化だけであって、命は消えることはない、という事実を理解できれば、悲しみはあっても苦しみは無くなるはずなので。死は全ての終わりであり消滅という、肉体が全てという考えが苦しみを生み出しているのですけど。


この映画で一番素晴らしいと思うシーンが、娘が旅立つシーンです。まさに、霊的なシーンなのです!!そう、旅立つとき、その魂は大切な人を眠らせたり、夢の中で別れを伝えます。私も眠らされましたので、よくわかります。人は夢の中であっても、自分の大切な人からきっちり理解できる形で説明を受けると、そのことを受け入れるものです。これはもう、実際に体験した人でなければ理解不能かもしれません。この映画でも、娘の旅立ちを夢の中で告げられ、その結果娘の延命治療も拒否、臓器ドナーに同意します。夢の中で、娘は「実は生きているんだ。死はないんだ」ということを理解したからです。


この映画、救いがないように思えますが、終盤、娘のドナーになったことが別の生を生み出したことを描いているのです。これって、臓器ドナーになることばかりじゃないです。子供を産んだということだけでも、別の新たな生をつなげたということになります。献血もそうです。他者を救おうとして自らが死んでしまった場合もそうです。どのような形であれ、他者を生かしたという事実が素晴らしいのです。死は存在しません。形が変わるだけです。たとえ自分の形が変わろうが、その結果他者を活かすことができたのなら、それは魂にとってこの上ない喜びなのです。


まだ上映していますので、ぜひ多くの人に見ていただきたいです。特に医療者ならなおさらです。

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