2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

お薦めの本

無料ブログはココログ

« 2017年6月 | トップページ

2017年7月の10件の記事

2017年7月22日 (土)

メアリと魔法の花を見てきました

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


『メアリと魔法の花』をみてきました。個人的ランクC。公式サイトはこちら


みていて感じたのが、この作品は過去の宮崎アニメへの敬意が至る所にちりばめられているなぁ、と。思い起こさせた作品だけで、もののけ姫、ポニョ、ラピュタ、ハウル、千と千尋、魔女の宅急便、トトロ。オマージュばかりで作られた作品か?と勘違いしちゃいそうです。


ストーリーは王道です。単純明快。ちょっと無理がない?ということを感じることがなかったです。そういう意味では、何も考えずに見て楽しめる映画だと思いますよ?


夏休みになったので、子供達がみるにはおもしろいと思います。過去の宮崎アニメをよく見ているのでしたら、子供達と一緒にオマージュを探してみるのもいいかもしれません。


この作品でとてもよいと感じたのは、『自然界には、人間がコントロールできない力というものがある』と述べていることです!個人的には、これは原発政策のことだとすぐに感じました。この映画でも、花の力をコントロールしようとして、大変な事故を起こします。そんな事故を過去に起こしているにもかかわらず、「次こそは大丈夫なはず」と、人間の浅はかな浅知恵で同じことを繰り返します。もう、馬鹿な人間の思い上がった愚行としか言い様がありません。そして、現代でも同じです。原発推進派や原子力ムラの馬鹿どもが、

  • もう原子力は時代遅れであり、
  • 採算が全くとれないにも関わらず、
  • マスコミや真性馬鹿の官僚や政治屋どもをうまく丸め込み、
  • 国民に真実を知らせず、
  • この大切な未来の子孫達へ受け渡さなくてはならない土地、水、空気を汚染しまくりながら、
  • 自分たちだけ儲けられるだけ金を儲けておこうという愚行をつづけていること。

決して許されることではありません!未だに地震予知なるものが成功したことがないこと。ひとたび起これば、「想定外」という言葉を連発して責任回避を図る電力会社と政治屋ども。そういう想定外の地震が起こっても、原発がなければ土地も水も空気も、汚染されずにすむのですよ。なぜ、こんな簡単なことがわからないの?世界では、再生可能エネルギーが商用ベースで稼働中です。商用ベースで、ですよ!研究ベースじゃないのです。すでに実用化され、雇用を生み、商売として十分やっていける商用ベースとして、世界では再生可能エネルギーが稼働中です。原発ではありません!(日本とフランスぐらいでしょう。未だに原発に必死になってしがみついているのは。沈みゆく泥船にしがみついているのですよ。みっともない。賢明な人間なら、沈み始めている泥船からさっさと逃げ出します。)


知性(実際は知性ではなく、浅知恵)に溺れて、愚行を繰り返すという現代日本人の馬鹿さ加減、それを再認識するためには、この映画は非常によいと思います。ただ、現実はこの映画のように、すべての魔法を無効にする呪文など、存在しないということ。原発事故をなかったことにすることも、炉から漏れ出た高濃度放射線を無効化する呪文も技術も、現代科学は何一つ持ち合わせていないということ。決して忘れてはいけないはずなんですけどね〜。

2017年7月21日 (金)

ライフをみてきました。

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


『ライフ』をみてきました。個人的ランクB+。公式サイトはこちら


生物学や微生物学を専門で学んだものとして、この映画はおもしろかったです!あ、でもこの作品って、SFホラーに分類されるのかな?


冒頭からハラハラさせてくれます。この緩急の付け方がこの監督、非常にうまい!ドキドキさせておいて、一転ほっと一息つかせたところに、というのが。『エイリアン』並みにうまいと私は思います。


微生物学を学んだものからすると、生物学者のヒュー、う〜ん、あの隔離ケースは未知の外来生物を扱う、という点においては甘すぎたのでは?と感じてしまって。火星からの未知の細胞が相手です。それに対して手袋付きの隔離ケースというのはどうよ?というのが率直な感想です。バイオハザードレベル4並の隔離実験施設でなければしちゃいかんだろ?と思いますけど。手袋ではなく、ロボットアームで細胞を扱うのが必要だと思いますわ。現代技術のロボットアーム、ロボット医療でも使われているように、非常に繊細な動きまでできますから、未知の外来細胞を扱うのもかなりのところまでできるはずだと思います。そしてなにより安全です。どんな性質を持っているのか、全くわからない相手です。なにより安全策をとるのが手順として基本だったと思います。相手を『たかが細胞』と、無意識に見下していたのかもしれません。いつの世も、そのミスの99%は人間によるものです。機械ではありません、人間という存在そのものが、もしかしたらミスなのかもしれないなぁとまで最近はよく思います。この映画ではよくわかりませんでしたが、この実験室モジュールを万一の事故の時、ISSから分離して危険物を外宇宙に廃棄処分でき、かつISS全体を守るという構造になっていなかったのか?ということに疑問を感じますけど。そういう構造になっていない、ということは、それだけ危険物に対しての安全がとられていないととれますし、その認識も甘い、と思いますけどね。そして、そういう構造になっていない実験設備なのに、ISSで外来宇宙からの細胞を扱う、ということ自体、元から問題あったと私は考えます。


悲しくも、ですが司令官としてとても立派な行動だったのがエカテリーナ。彼女の行動がまさに責任者としてとる行動です。どこぞの国の総理大臣のように、口先だけでその場を取り繕い、後は黙っていればいいや、馬鹿な国民などほおっておけばそのうち忘れてくれるだろうという、なめまくった態度で総理の椅子に座り続ける厚顔無恥っぷりとは、あまりにも正反対です。


ショウ役の真田広之さん、山椒のようにぴりり!といい味を出しています。英語もきれいなんですよね。地球で生まれた我が子のために、生きて地球に帰ろうとするのですが・・・。同じ子供が居る身として、共感してしまいました。


地球に危険な異星の生命体を入れないために行う隔離行動ですが、やっぱり最初の実験室が一番隔離になっていなかったなぁと改めて思います。まずは最小限の被害で隔離できるようにするのが鉄則では?と思えて仕方がありません。しかし、ソユーズのロケットでISSそれ自体を衛星軌道から外宇宙へと放り出せるほどの推力があるのだろうか?と、疑問に思いましたが。突っ込んじゃいけないところですかね?


さて、この火星からの異生命体はどうなるのか?ISSのクルー達は、この異生命体を排除できるのか?無事地球に帰ることができるのか?もうね、最後は「うむ、そうきたか!」と。個人的には、こういうことが起こってこの世界、一度滅びた方がいいんじゃないのか?と思えて仕方がないですけど。


しかし、悪いことではないのでしょうけど、近年ハリウッド映画の出資者に中国人が実に多いのですね。その性でしょうか、もしかしたらシナリオにも口出しをされているのかも?と勘ぐってしまいます。この作品、最後の場所が中国領域です。いや、別にかまわないのですよ。ですが、どうにもこうにも、昨今のハリウッド映画は中国に寄り添いすぎているなぁと感じずには居られません。結局は、金を出した人間の意向に沿うしかない、ということかなぁ。


SFホラー映画と思いますが、極限状態で、地球に危険な異星生物を入れないために、もし自分がISSのクルーだったらどうする?と考えながらみるととても楽しめると思います。スプラッタではないので、それほど血はでませんよ。無重力ではあんな感じになるだろうな、とは思います。

2017年7月20日 (木)

ハックソー・リッジをみてきました。(なぜ『ハクソー・リッジ』なの?!)

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


『ハクソー・リッジ』をみてきました。個人的ランクA−。公式サイトはこちら。医療者は必見だと思う映画です!!


まず文句から。なぜ『ハクソー』と正確ではないカタカナ訳語にした?正確には、『ハック・ソー』もしくは『ハック・ソゥ』です!ネイティブの速度で話されると、確かに「ハクソー」と聞こえるかもしれませんが、「ハック・ソゥ」です!!ノコギリの刃のような崖、ということから名付けられていますから。なぜ、配給会社はこんなおかしな、そして不正確なカタカナ訳語のタイトルをつけたのか、全くもって理解に苦しみます!カタカナ訳語のタイトルをつけるのなら、正確につけろや!そんなところまで、戸田奈○子に似なくていいだって!字幕翻訳は彼女じゃないですので、安心してください。とてもうまく訳されています。


タイトルのカタカナ訳語には腹が立って仕方ないですが、内容はもう、文句なくAランクの映画です。描かれている舞台は第二次世界大戦時の沖縄戦です。


私が心底共感したのは、主人公のその信念です。デズモンド・ドス、彼のその信念を貫き通した姿、理念、もう共感しまくりでした。なぜって?私も自分の治療に対して、医療者としての信念を貫き通しているからです。「けっ、いい子ぶってやがる」と思う人は、一度でも私と会って私の治療を受けたことがあるのか?といってやりますわ。


思わず涙ぐんでしまったのは、彼が「主よ、もう一人、もう一人(助けるために力を貸したまえ)」とつぶやきながら戦傷者を救うシーンです。この言葉に心底共感。私も、2度のヘルニアの痛みの最中、そしてヘルニアからくる根性坐骨神経症の激しい痛みの最中に往診に向かっている間、治療中、そして帰ってくる間、私自身も同じようにつぶやいていた言葉とほぼ同じだったからです。私はクリスチャンじゃないですよ。無宗教と言っていいです。ですが、神の存在は心の底から信じています。なぜって、こんな美しい自然、地球、宇宙、そして人間という芸術を作れたもの、それは神以外存在しないからですよ!神なんて存在しないという人たち、なら、あなたに大腸菌一匹を無から作ることができますか?花の種を無から作ることができますか?花のあの色やデザインを創造することができますか?卵を作ることができますか?と問いたいですよ。たかが人間ごときに、そんなことができるわけがないのです。神なんて存在しないという輩は、傲慢以外の何者でもありませんといいたい。もっと謙虚になれ、と。不思議なことにですね、上記の言葉をつぶやいていると、動けてしまうのですよ!私の患者さん達なら理解できるでしょうか?まともに歩けないほどの痛みの中、私がどうして歩け、そして治療ができたのか?と。私自身も不思議ですよ。あの痛みの中、なぜ動けたのか。自分のことより、助けを求めている他者のため、という純粋な思いがあるとき、人はその能力の限界を超えて動けてしまうものだ、ということです。これを体感した人は、まさに幸運だと思いますけど。その奇跡とも呼べるかもしれない経験をするためには、自分のことより他者のことを真摯に助けるという「信念」が不可欠でしょう。


ドスの信念と行動は、医療者は見習わなければならない、と心の底から思います。最近の医療者は、ことごとくこの信念が欠如しているとしか思えないですね。医療者としての信念が欠如しているから、簡単に金儲けに走るんです。そして、結果として患者の命をないがしろにしているんですよ。まぁ、私がこう書いたところで、なぜかしら、多くの患者を含めて「たかが鍼灸師ごときが」と思われている事実、たまに心がおれそうになります。そんなとき、いつも祈ります。私に折れない勇気を、彼らの無知に許しを、と。理解できない人はそれでかまいません。理解できる人だけが理解してくれれば。世界中に、たった一人でも理解者が居てくれれば、それだけで救われます。


ドスの父親がクズに見えますが、彼も戦争犠牲者なのですよ。PTSDを煩っているとしか思えないです。同時に、自分だけが生き残ってしまったというサバイバーズ・ギルトも併発しています。戦争は、それほど人の心というものを壊すもの、ということです。そして、今の戦場を経験した兵士達は、第二次大戦時の兵士達よりPTSD発症がとても高いのです。ベトナム戦争後、その元兵士達に自殺者や社会不適応者が続出したのですが、アフガニスタンやイラクの戦場に行ったアメリカ兵たちはそれ以上で、年間2000人近くが自殺で亡くなっていると聞いてます。アメリカ軍もやっきになって、精神治療プログラムを組んで兵士達の自殺を食い止めようとしていますが、うまく機能していません。この事実を、どれだけの日本人が知っているのか?日本の自衛隊でも、アホの小泉元総理が決定した国連維持活動という名のアメリカ軍の尻拭いと人間の盾という役割を押しつけられ、糞安倍政権がさらにそれを駆けつけ警護という、さらにアメリカ軍の犬となれとしてしまったため、自衛隊員からも自殺者が出ているのです。戦闘に参加していなくても、危険極まりなく、人が日々死んでいる戦闘区域に居るだけで、人の心は壊れてしまうのです!その危険な戦闘区域を紛争区域であって戦闘区域じゃないから安全と平気で口にした、アホすぎる稲田防衛大臣。そこまで安全というのなら、稲田、あんた自身がそこで生活しろよ!です。自分はちょっといっただけですぐ帰国、戦場から遠く離れた日本でのうのうと過ごしているのは、おかしすぎます。組織のトップなら、まず率先して現地で生活しろ!です。自殺とはいえ、これは戦争犠牲者です!私は、ついに自衛隊から戦死者を出してしまったと捉えています。マスコミも大本営発表と同じ程度まで堕落しているので、正確なところを伝えてきません。そして国民も馬鹿すぎて、その腐ったマスコミの流す、政府の一方的な内容を信じ込んでいます。


こんな素晴らしい映画なのに、題材が沖縄戦だからでしょうか、それとも日本軍の卑怯っぷりを描いているからでしょうか、ほとんど広報活動がない。そして、もう上映が終わってしまうという事実。なぜ?なぜ配給会社はもっと広報活動をしない?アホの米軍と糞日本政府による沖縄基地移転やヘリポート建設、沖縄の人たちの意思を全く無視した政策をとっている糞日本政府と糞アメリカ軍のことを「おもんばかって」広報を控えたのでしょうか?そうとしか勘ぐれないのですけどね。


エンドクレジットの途中、本当のドスの上官が述べますが、「武器を手に取らないという彼のことを臆病者と(当時)思っていたが、本当の勇者は彼だった」と涙を流しながらつげます。そうですよ、武器を手に取らず、敵味方関係なく助けることができる、できたものが勇者です。ですが、その当人のドスは、「死んだ兵士達皆が勇者だ(私ではない)」といいます。なんて謙虚なんだ!武器を手に取って他者を守れるものが勇者ではないのです。武器を取って他者と戦うことができるのが勇者という理論では、テロリストと全く同じだ(だから今のアメリカ軍のしている対テロ対策および今までしてきたアメリカのためという軍事行動がことごとくテロに結びついているのです)ということに、ほとんどの人が気がついていないという事実に、実に情けなく思います。この腐った日本政府も全く同じ理論なのが、悲しいを通り越して怒りしか感じませんわ。先の戦争から何を学んだ?と問いたい。戦後70年もたてば(馬鹿な)国民どもは忘れているから、という、戦中派の死に損ないの爺や、若者達を戦死させて自分たちだけはのうのうと生き残った糞爺ども、そしてその糞爺どもの子孫(誰とはいいたくないけど、今の自民党の安倍や麻生、石破などがそれですわ)のいいようにさせてきた、非常に簡単に健忘症にかかるこの日本国民に対して腹が立ちます。


美輪明宏さんや、そのほかの著名人達が自民党のやり方に反対しています。戦争をする国にしたくない、と。銃口を他人に向けていい人間は、自分も他人から銃口を向けられて殺される覚悟がある人間だけです。その覚悟がないのなら、決して他人に銃口を向けてはいけません。今でも思い出すのは、香川県のとある元酒造会社。そこの人事部長という肩書きの糞爺に、私の持っていたナイフ(スイスアーミーナイフ)を貸したら、その途端「ほれっ」といってその刃先を私に向けて突き出してきたことです。今、そんなことを私に対してしたなら、確実に関節を決めて泣くまで痛めつけてやります。なんならその関節を外してやります。相手の年は関係ありません。他人に対して、してはいけないことを平気でする輩には、尊敬も糞もなくその体に痛みを教え込んでやるだけです。当時、その人事部長は50代だと思います。50を過ぎても他者に刃物の刃先を向けて突き出す行為をする。それを冗談だと言っていいと?万が一、それが私に刺さっていたら、なんというつもり?(再度書きますが、他人にナイフの刃先を向けていいのは、ナイフで刺されてもかまわない輩だけです。)当時の私は少々従順すぎましたね。年上だからということで我慢してしまいましたから。年上だろうが何だろうが、その性根が腐っている輩にそんなことは全く関係ないのだ、ということを学びましたので。平気で他人にナイフの刃先を向ける馬鹿ほど、実際に相手を刺殺した後に「殺すつもりはなかった」という大馬鹿野郎です!!なぜナイフを持っていたかって?その酒造会社まで片道90分の自転車通勤をしていたからです。(電車もバスも通っていない田舎でしたから。)道中、ナイフをはじめ、道具がなければ、もし故障などのアクシデントに遭遇したときにどうしようもありません。(ナイフが必要かって?なら、タイヤのチューブやゴムを、ナイフや道具なしで手や口を使って切ったり修理できるの?できるのなら、見せて貰いたいですわ!)他者が助けてくれるだろう?それはあまりに甘い考えですわ。山道を越えての90分。民家もないところを走っていたのです。誰かが助けてくれるだろう、なんていう甘い考えで居られる場所じゃなかったのですよ!同時に、自転車が故障しました、といって警察に連絡すれば助けてくれるとでも?腐った警察が助けてくれるわけないでしょうが!!!!!!!


名古屋では明日、21日までです。もしほかの場所で上映が継続されているのなら、是非ご覧になってください。これはいい作品です!そして、ドスの生き方から学んでください。信念は他人がいくら懐柔しようが、本人に暴力を振るおうが、それを変えることはできない、と。それはつまり、他者からの暴力や甘言でその考えをコロッと変えるようなら、それは信念でも何でもない、ということ。さらに、信念というものは、その人の「生き方そのもの」ということを。エンドクレジットで、当時のドスの写真がでますが、本当にトウモロコシの茎のような、華奢な体型です。なのに、75名もの戦傷者をたった一人で助けたという事実に、ただただ驚きしかでません。


いつになく熱く語ってしまいました。それほどこの作品が素晴らしかった、ということです。DVD発売と同時にポチりそうです。子供達に見せて、信念を持って、その生き方を貫いてほしいと切に願ってしまうからです。


信念を持って生きている人って、美しいですよ。(私は美しくありません。暑苦しいだけです。これを読まれた私の患者さん達、異論があったらぜひ教えてくださいね!)

2017年7月11日 (火)

怪物はささやくをみてきました

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


『怪物はささやく』をみてきました。個人的ランクC-。公式ホームページはこちら


ダーク・ファンタジーと聞いたので、喜び勇んで(?)見に行きました。う〜む、結果は・・・。ダーク・ファンタジーといえばいえるのでしょうけど、私好みのダーク・ファンタジーではありませんでした。私好みは、ティム・バートン監督作品のダーク・ファンタジーですね。


ですが、怪物の語る物語、これはもう現実を的確に表現したものだけに、この点ではまさにダークなものでした。現実というものが、それほど汚いということです。それを怪物は的確に主人公の少年に、物語として聞かせます。私も子供たちに、写実的に現実の汚さを話して聞かすのではなく、物語として聞かせた方がよりよいのかも?と思いました。


子供はこの作品を見ても、あまり感じることが少ないかもしれません。むしろ、大人が見るべき作品なのではないでしょうか?


怪物の声を当てていたリーアム・ニーソン、いい味出していて、ぴったりのはまり役でした。日本の声優なら、やっぱり故永井一郎さんにやってほしいと思います。


誰にでもお勧めできるものではありません。ですが、現実を皮肉ったファンタジーをみたいというのであれば、この作品はかなりおすすめできます。


最後、少年の心が救われたこと、これがなによりほっとしました。

2017年7月10日 (月)

しあわせな人生の選択をみてきました。

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


『幸せな人生の選択』をみてきました。個人的ランクA-。実にいい映画です!公式ホームページはこちら


末期の肺がんの男性が、自分の老犬を誰に託すべきか?という話です。ですが、これがこんなに素晴らしい映画になるとは!スペイン映画です。これもDVD発売と同時にポチりたいぐらいの作品です、これ。


私もある事情で死と隣り合わせです。ですので、自分自身の死に方については、もう納得いくところまで突き詰めています。ですが、もし、私がペットを飼っていたとしたら?そう考えたら、この映画を見ているときに何度も感情移入してしまい、涙があふれてしまいました。自分のことよりも、ペットのことの方を考えてしまうのです。


だからこそ、おかしな他人に、この大切な老犬を託すわけにはいかないのです。さて、最終的にこの末期の肺がん患者である人物は、自分のことよりも大切な老犬を、誰に託したのでしょう?これはぜひ映画館で確認されてください。


癌患者である主人公に会いに来た友人が実に素晴らしい!こんな友人を彼は得ていたということ、とてもうらやましく感じます。私にも戦友と呼べる友人がいますが、近年声を聞いてませんね・・・。😣ですが、なんとなく、漠然とですが彼なら私が本当に必要としているときには寄り添ってくれる気がしています。単なる私の妄想の可能性は否定できません。ですが、彼はそうしてくれる気がするのです。この映画の彼は、素晴らしい友人を手に入れていたのです。それだけで、彼の人生は大成功だったと言っても過言じゃないと私は思います。私自身、私の戦友のためにこの映画の友人のような存在でいたいと切に願います。


この映画、『幸せ』ということについてかなり考えさせてくれると思います。人それぞれですよ、幸せというのは。そして、自分の幸せを他人に『強制』してはいけません。それはしてはいけませんし、できないことですから。この映画、それをきっちり描き出しています。いいですか、強制は医師であってもしてはいけないのです。日本はどうにもこうにも、医師が強制しますね〜。そして、その強制に唯々諾々と従う患者さん達。なぜ?自分の体ですよ?医師の体じゃないのですよ?あなたはどうやって死にたいですか?医師の言いなりになって、無駄に苦痛で金がかかる無意味な治療を受けて死にたいのですか?そういうことをこの映画は問いかけているのです!


肺がん患者であるフリアン、オランダに留学中の息子に会うのですが、その最後のシーンでは涙があふれて止まりませんでした。なぜって、物語ではその後になって語られるのですが、息子のとった行動がなぜか心の琴線に触れて涙が止まりませんでした。そして、この感じたことが間違っていなかったことがわかり、また涙が。親子の愛情、言葉じゃないということです。この息子がまたよくできた息子で。私の子供達、こんな人間に育ってほしいと願ってしまいました。フリアンと同じ立場だったら、私も彼と同じく泣けて仕方なかったと思います。言葉よりも態度で示す。本当です。


この映画の原題は"Truman"です。この老犬の名前です。日本タイトルも、昨今の翻訳(意訳)にしてはかなり素晴らしいといえます。この日本タイトルを考えた人、この映画の本当の良さをとてもよくわかっていると太鼓判を押したい!原題が犬の名前ということからもわかるとおり、本当の主人公はこの老犬です。人間ではありません。ですが、そこにこの作品の深いところがあると思います。


この映画、多くの人にみて貰いたい。そして再度ですが、その最後、老犬のトゥルーマンを誰に託したのか?ということをみてほしいです。


今後、日本でもこの映画と同じ状況が頻発するのが簡単に予測できます。さて、あなたが末期の病状だとして、そのとき大切なペット、いや、大切な同居人がいて、その同居人を誰に託したいですか?そういうとても大切なことを、自分の命より大切な別の命を誰に託したいですか?ということを、この映画は問いかけているのです。


ぜひ、多くに人にみて貰いたい、そして考えてほしい映画です。あなたは本当に信頼できる友人がいますか?自分の選択を心から尊重してくれる友人ないし身内がいますか?居なくてもいいのです。本当に大切かつ重要なのは、

『あなた自身が、自分で下した選択に対して、後悔しない』

ことなのですから。

2017年7月 9日 (日)

おじいちゃんはデブゴンをみてきました

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


『おじいちゃんはデブゴン』をみてきました。個人的ランクB+!公式ホームページはこちら


もう、往年のカンフー映画ファンなら、デブゴンという名を聞いて心が躍らないわけありません!サモ・ハンの動き、よくあの体型で動けるものだと、何度みても感心します。


冒頭でR15のマークがでてびっくり。あれ?この作品、R15指定なの?!今までのカンフー映画で、それもサモ・ハンが主演の映画でそんなR15指定がつくようなものってあったっけ?そんなに血糊が多いの?とおもったら、まさにその通りの作品になってました〜。いやぁ、血糊もたっぷりなら、マフィアたちの敵を殺すシーンがエグい・・・。これはR15指定になったのも納得のできばえです。


認知症を患った老人を、実にうまくサモ・ハンが演じています。実際、認知症患者さん、小学生やそれ以下の子供と交流している方が、その進行がかなり抑えられるのがわかっています。むしろ、大人と接しているとその進行が進みやすいです。認知症はある意味、子供に戻ることのようなもの。サモ・ハン演ずるディンも、近所の少女がいなくなってからその症状の進行が早まっていくのを、上手に演技されていました。


私が学んだのもカンフーなので、彼の動きはよくわかります。後半の多人数相手の戦い、一人一人の敵をできるときに戦闘不能に陥らせるために関節を外すのは、あれは正解です。多くの人が関節を外した経験がないでしょうからあえて述べますが、骨折より痛いですよ、あれ。付け加えると、関節を外すのにそれほどの力もいりません。骨折させる方がよっぽど力が必要になります。


エンディングもよかったぁ〜。まさか泣けるとは思いませんでした。特に、エンディングのナレーションでボロっと泣けてしまいました。う〜ん、DVD発売でポチってしまいそうです。


エンドロールが始まってもすぐに席を立たないように。まだ続きますからね。そして、その続きの中でさすがサモ・ハン、『悪を働いたものは、必ずその報いを受けるのだ』ということをきちんと描いています。悪事をしたものがそのまま逃げ続けられる、ということは天が許さないということです。ここまでしっかり描いているから、この作品は素晴らしいといえます。


ユン・ピョウもでるし、アンディ・ラウがどうしようもないろくでなし父親を演じますし。ゲスト出演者たちに驚きます。


R15指定ですし、血みどろシーンも多々あるのですが、この作品、ぜひ劇場でみてほしいと切に願います。本当におもしろい作品ですから。時間とお金の損はしません!

2017年7月 8日 (土)

献血70回だとか

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


おぉ、一気にブログ更新ですね。やるときに一気にやる、というのが私のスタイル・・・。一部の、私のブログを定期的にチェックをされている希有な患者さんからすると、ブログが(定期的に)更新されていないと「死んでんじゃね?」と言われている私です。


さて、先日の献血で70回目ということで、表彰をしたいのですけど、と受付で言われました。は?なにそれ?というのが私の反応でした。


献血を私がするのは、私のような最低の輩でも、この血が苦しんでいる他者の役に立つのなら、この世に生きている意味が少し見えるな、という理由でしているのです。医療者として最低ですか?本当にそうですか?こう書く理由はですね、他者の善意で提供された献血を一番使う医師のほとんどが、献血をしたことがないという事実。さらに付け加えるなら、医師のほとんどが臓器移植の同意書(免許証の裏にありますよね?)にサインをしていないという事実を知ってもいえますか?私は鍼灸師になる前から臓器移植の同意書にサインしていますし、骨髄バンクにも登録しています。あ!この骨髄バンクに対して文句が言いたいことがあったのこと、書くのを忘れていました!これは書かなくては!医療者としてかなり腹が立ったので。


私は自分自身が最低の人間だと思っています。なぜ生きているのだろう?と思うぐらいです。そんな輩でも、なぜか気を感じることができる。そしてその能力で(実際は誰でもこの能力を持っています。ただ、その能力を磨く練習をするかどうかだけのことです)病に苦しんでいる他者を助けることができるのなら、この与えられた能力を使わないのは神への冒涜です。ならば、私が死ぬまで他者のためにこの与えられた能力を使い続けるのが使命。そして私の血でも他者を助ける可能性があるのなら、それを提供するのもまた使命と考えているだけです。


そういう考えで献血をしているのですが、今回合計で70回だとかで表彰式と景品授与に参加されますか?と。もうね、実にくだらない。私は、私の信念に従って献血をしているだけで、それを他者から「すごいね!(だから)表彰してあげるよ!景品もあげるよ!」と押しつけられるのが我慢なりません。


当然、辞退しました。要らないもの。表彰状も、景品も、そんなもの貰ったって、なんの役に立ちますか?最低限の、私の自尊心すら満たすどころか、その自尊心すら逆に傷つけるものです。


こう書くと、普通の人からすると、他者があなたの行動を認めてくれているのだから素直に受けたら?といわれますが、他者の評価などどうでもいいのです。私にとっては、「私自身が死ぬときに後悔したくない選択を、その瞬間瞬間に、迷いなく、霊的な教えに従ってなしえたかどうか?」の方が最上位に大切なのです。幼少時から私はひねくれ者でしたので。高校の時も、片道7km以上を歩いていました。バスもありましたし、自転車通学も認められていましたが拒否。理由は、一番近いバス停まで20分かかる。自転車通学なら、高校生にもなってヘルメット着用が強制。どちらも馬鹿らしかったので歩くのを選んだだけです。そう、完全な、自己満足です。ですが、高校2年の時、奇しくも2年間無欠席無遅刻ということになり、教師たちから祭り上げられてしまい、皆勤賞の総代となってしまいました。屈辱sign03(私が歩いて通学していたのをなぜ知っていたのか、そちらの方が疑問です。)私のいた高校は、生徒に人権を与えられなかった東○高校でしたので、拒否は始めからありません。(無理矢理)総代にされ、校長から賞状を受け取る羽目に。私個人は、かなり眉間にしわを寄せていたと思っていたのですが、あとで数少ない級友に聞くと、壇上から降りてくるときになぜか口元がにやついていたぞ、と。あれ?その性でしょうか、総代として受けた賞状を学年主任に渡したときににらまれたのは。う〜ん、にやついたように見えたのでしょうが、私としては自分の意思に反した行動をとっていることに腹を立てていたのですが、それが端から見るとニヤついていたと見えていたようです。まぁ、とにかく、昔から私は私が自分自身の自己満足のためにしたことを、他者から「すごい」と言われることが我慢ならない性格だということです。だから私のホームページにも、私のこの気を感じとれる能力は、誰でも練習すれば体得可能なのです、と書いているのです。それは事実であり、覆せないことだからですsign03


あぁ、もしかしたら死ぬ瞬間に、「しまった!この70回目の表彰を受けておけばよかった!」と思うかもしれませんけどね。あっはっは、まずありえませんけど。🤣


厳密に書くと、実際は100回を超えています、献血回数。なぜって、私が留学中にしたアメリカでの献血回数(その献血回数カードは手元にあるし、帰国して最初の献血の時にそう告げたけど)は『日本ではない』ということでカウントされていないからでーす。こういうところでも、差別を感じましたね〜。ちなみに、アメリカの献血は一回1パイント。約450mlです。日本の400mlより多いです。体格の違いでしょうね。今でも覚えていて笑えるのですが、アメフトの選手が献血直後にぶっ倒れたのをこの目で見ています。逆に私は、450ml献血直後、5分以上走って次の講義へと向かっています。男の方が血に弱いのは本当ですし、体格がいいから献血しても問題ない、という先入観は大間違いです。


あぁ、こう書いてきて、私のことを素直に表彰を受けない糞野郎と思いたい人はどうぞ。その評価でかまいません。あと、私は献血70回の表彰を受けた人をけなしていないことを忘れずに。表彰を受けたい人はどうぞ。私は受けたくない理由を書いただけですので。受けたい人は受ければいいだけのこと。受けた人・受けたい人をけなしてはいません。


性格がねじ曲がってますか?ん〜、そういう人間がいた方が、この腐った社会の調味料になりません?こんな私ですけども、私が心底集中し、努力したことは、他者から褒められると、むちゃくちゃうれしいです。例えば、最新(西洋)医療についてとか。これは日々、アンテナを張って努力して、最新情報を収集して、自分の知識のアップデートをしています。そういう、私自身が努力していることを他者から認められることは、天にも昇るほどうれしいです。そして、多くの西洋医師や鍼灸師のように、国家資格取得後、全く勉強しなくなる輩達とは違うと認められることは、本当にうれしいのです。今でもうれしいのは、元日赤の医師から、「よく勉強しているね」と言われたこと。これは未だに私の心の支えの一つになっています。

22年目の告白をみてきました

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


「22年目の告白ー私が殺人犯ですー」をみてきました。個人的ランクB+。公式ホームページはこちら。ストーリー展開が実におもしろかったのと、サスペンス映画ということでネタバレができません。それはぜひ劇場で!


いや、よかったです!おもしろかった〜。全然期待せずに見に行ったのです。そしたら、これが冒頭から期待を裏切るストーリー展開!そして、藤原竜也さんの演技力がすごい!いやぁ、こういう役をやらせると、なぜ彼はこんなに上手なのか?!と。彼の演技力にぐいぐい引き込まれました。そして、犯人が連続殺人鬼であっても、イケメンで魅力的であれば、それに飛びつく女たちがいるということ。これって、アメリカのチャールズ・マンソンを彷彿させました。いやぁ、軽薄な女たちを描いているのが笑えましたわ〜。実際にいるから、こういう人間たちが。見た目が好みなら、その性格や人間性、やったことなどは全く無視して飛びつく。中身ではなく、外見や肩書きだけに飛びつく。そういう外見や肩書きだけの人間に飛びつき、その結果を刈り取るのはその飛びついた人間ですので。非難してませんよ、そういう人間を。そういう人間だ、と観察した結果を述べているだけです。少なくとも、私自身はそういう人間を相手に選ばないだけですから。


伊藤英明さんも熱血刑事役、よかったです。こういう刑事って、今でもいるのかしら?自己保身に走る警察官ばかりだと感じている日々なので。警察自体が腐っているとしか思えないです。


もともとは韓国映画だそうですが、そちらはみていないので比べることができません。ですが、この作品はおもしろいと素直にいえます。私は見事にストーリーと役者たちに翻弄されました。くっそ〜。それだけこの脚本、演出、監督、そして役者達の演技力がいい、ということかと思います。


この作品のさらによいところは、被害者たちの心情をしっかり描いている点です。被害者たちにとっては、時効なんて一切関係ありません。事件が起こったときに、彼らの時間は止まったままなのですから。時効などというものは、あくまで『他人』が作ったものなのだと改めて認識しました。被害者たちは、加害者を許すことなんて、よほどのことがない限りあり得ないのではないか、と。そして、被害者たちはその加害者をこの手にかけたいと思うこと。それもごく自然な感情なのだと思います。私だって、もし私の子供たちが殺されたとしたら、その加害者をこの手で・・と間違いなく思いますから。加害者を許せるかどうか、はまた別問題になるかと。サイコパスやソシオパスでなければ、被害者感情を考えたら一時の激情にまかせて他者を殺すという、馬鹿なことは普通はしない・できないと思いますよ。


ぜひ劇場で、彼が連続殺人鬼なのか?本当なのか?を確認してほしいと思います。えぇ、お金と時間の損はしませんよ、この作品は。

一週間限定で、『ジェーン・ドゥの解剖』がリバイバル上映されます!

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


今年のホラー映画として一押しの『ジェーン・ドゥの解剖』が、名古屋シネマスコーレにて、1週間限定で再上映されます!ホラー映画としては、非常に珍しいと思います。


前回上映の時に見逃した方、今日から来週の金曜日までの上映です!ぜひ、足を運んでください。上映スケジュールはこちら。夜1805〜の上映です。


あまりにもよいできだっただけに、私ももう一回見に行こうかなと真剣に思っています!👍🏻

アイム・ノット・シリアルキラーをみてきました

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


「アイム・ノット・シリアルキラー」をみてきました。個人的ランクD。


もうね、「ジェーン・ドゥの解剖」があまりにもよかっただけに、今作と比べてしまうと・・・。😖


バック・トゥー・ザ・フューチャーのドク役、クリストファー・ロイドが初の連続殺人鬼(シリアルキラー)役ということで、個人的にはむちゃくちゃ期待していたんです。


いえ、途中まで、というかほぼ終盤までは結構よかったのです。はい。ほぼ終盤までなら個人的ランクB+をつけてもいいぐらい、おもしろかったんです!ソシオパス対シリアルキラーということで!いい味を出していたんですよ!、本当に終盤までは!


もうね、終盤でがっくりきました。一気に脱力というか、なんでこういう話にしちゃったかなぁ〜〜〜〜、と。なぜ、なぜ最後の最後で・・・。締めをこんな風にしちゃうと、せっかくここまで盛り上げた話が一気に崩壊です。とほほ〜。最後にあれを出してくるのなら、もうちょっと冒頭から伏線の張り方を考えた方がいいです。ジェーン・ドゥの解剖では、その伏線の張り方が絶妙だったからこそ、私は絶賛できました。


クリストファー・ロイドの初殺人鬼役、よかったですわ〜。別の作品でもやってくれないかしら。


ソシオパスが主人公ですが、いや、実にうまくソシオパスを演技されていたと思います。しかし、ソシオパスとシリアルキラーって、ある意味その境界線はとても薄いです。あっという間にその境界線を越えることは可能だろうな、と思います。私自身は、元名古屋大学生を思い出しました。


あと、原題では「ア」が入っています。"a"です。I am not “a” serial killer.ですから。ところが日本語にしたら、この「ア」を入れていません。う〜ん、確かに日本語では単数複数の区別がつきにくい言語ではありますが、英語ではそこら辺明確に区別しています。英語を話す人間からすると、日本語ではあまり影響ないとはいえ、やっぱり「ア」を入れてほしかったなぁ、と思います。

« 2017年6月 | トップページ