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2016年6月24日 (金)

天国からの奇跡を見てきました

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


天国からの奇跡を見てきました。個人的ランクA-。実に素晴らしい映画です!公式ホームページはこちら。ちなみにこの映画、実話を元にしています。そしてエンディングテロップで、本当の当人とその家族が出てきます。これがまた泣けます!よくぞ、よくぞ現状治療方法のない難病からこんなに元気に!と。自分の子供が、家族が同じく治療方法のない難病になり、それが奇跡的に治癒したとき、あなたはどう思う?どう感じる?と問いかけています。


も、霊的なことを勉強している人、奇跡を信じている人は当然のことながら、逆に『奇跡なんてそんなものは無い!』と思っている人こそ見に行け!と言いたい映画です。


ストーリーは公式ホームページにまかせます。アメリカなのでどうしてもキリスト教になりますが、実際はキリスト教だろうが、どんな宗教だろうが構わないと私は思います。無宗教ですらいいのですよ。要点は『神という人間を超えた存在を信じるか信じないか?』と言うことなのですから。


劇中でも、宗教も、神すらも信じないという親が出てきますが、やはりと言うべきか、そして大多数の人間が、この親と同じ後悔をすると思うのです。非常に『後悔』するのですよ。そして亡くなった人が、その亡くなる2週間ぐらい前からとても『安らか』になる、と言う事実(当然、個人差がありますよ)。これも実際に看取った経験がある人でないとわからないでしょうね。経験したことがないから想像も出来ない、と言うのであれば、それは動物以下ですよと私は言いたい。想像できないなら、まず『そういうこともあるんだ』と受け入れましょう。


主人公の苦しみ、そして冒頭からの医師の誤診。この誤診には非常に腹が立ちますわ〜。日本でもこの映画と全く同じ事が日々起きているのですよ。だけどアメリカと違うのは、日本人は医師に対して『ほとんど文句を言わない』という悲しい事実。この映画の母親の様に、X-Rayと血液検査の数値しか見ていなくて『何の問題もありません』という医師(実際、劇中では制吐剤ぐらいしか投与していません。理由は食道に胃酸による炎症が激しく見られるから、と言う理由です。当然です。毎日のように嘔吐しているのですから。問題は、なぜそんなに食事をすればすぐに嘔吐してしまうのか?と言うことです)に対して『母親の勘でこの子は何か重病なのよ!あんたがわからないと言うのなら、わかる専門の医師を連れてきなさいよ!』とERの若手医師を怒鳴りつけます。私も同じ立場なら、この母親と同じく無能な医師を怒鳴りつけますね。この若手医師、最初はこの母親のことをうざったい迷惑な親だと取り合おうとしませんが、凄い剣幕で怒鳴りつけられ、自身の医師としての下らないプライドもあったのでしょう、小児科の専門医に診断してもらったら『腸閉塞』とわかります。このシーンだけでも『ケッ、ざまーみろ!この無能(ちょっと言いすぎかも)の思い上がった糞医師が!』と私は思いましたね〜。言葉が汚くて申し訳ありません。小児科専門医がすぐに手術をしないと命に関わるからと言い、この若手医師が母親たちに対して目を伏せて患者に向かいます。正直、この若い医師は目を合わせられないのですよ。つい先ほどした自分の態度、患者の親としての直感を甘く見て、X-Rayと血液検査の数値しか、つまり数字というデータしか見ていずに、医師として見逃してはいけない命に関わる重大な疾患を見逃していたという事実に、自分の医師としてのプライドはズタズタ。自分がいかに医師という肩書きだけで思い上がっていたのか、と言うこと、患者さんをきちんと診ていなかったという事実に打ちのめされているのです。これを『ざまーみろ!』と思いませんか?個人的な意見ですが、この医師は今後は良い医師になりますよ、この経験を真に反省し自分を変えようとすれば。非常によい医師になる可能性が(神から)与えられたのです。あとはこの機会をものにする選択をするかしないか?と言うだけのことです。後に主人公の主治医になるボストンの小児科専門医、彼は違います。きちんと患者の心に寄り添います。相手が子供だけに笑いで元気づけようとします。なにより患者さんにきっちり触診します。これがどれほど医学の基本であり、どれほど大切であり、どれほど患者さんとその家族に安心感を与えるか。そのことをきっちり表現している映画です。


X-Rayと血液検査の数値しか見ない、見られない。これは先も書いたとおり、アメリカだけじゃないのですよ。日本でも『全く』同じなんです!いやむしろ、日本の方が悪いかも。昨今の医師たちは、電子カルテ導入の性か、コンピューターのモニターばかり見て患者さんを見ていません!!患者さんの腹部を触る、触診するという医学の『基本』すらしない。そのくせ『自分は医師だ』という下らないプライドの塊になっている医師たちばかりです。日本人も医師に対してもっと懐疑的になった方が良いのですよ。同じ人間ですよ?医師だから人格的にも人間的にも優れていると『思い込んで』いませんか?そんな昔の町医師はもうほとんど日本にはいませんよ。日本にそういう人格的にも人間的にも優れた医師が多いのであれば、これほど医師の医療ミスによる死亡は起こりえません。群馬医大、千葉医大等々。ちょっと思い出してみれば枚挙にいとまが無いことは明白です。それほど日本の医学部、医者のレベルに問題があると言うことなのです。


子供が難病で苦しんでいる姿というのは、私も親としても医療者としても見ていて、こんなに辛いことはありませんでした。もう泣けて泣けて。苦しんでいるわが子に何も出来ないという無力感。大切な人の何の役にも立てないという事実。もの凄く辛いです。


個人的には消化器が動いていない、と言うのであれば、薬だけじゃなくて鍼灸を併用してみろ!と言いたかったです。私も機能性大腸炎の患者さんを診た経験があり、一人は寛解(!)、もう一人は鍼を打ったとたんに腸が動き出す経験をしています。映画を見ながら、鍼灸ならもっと早く効果を出せたかもしれない、とつくづく思いました。実際、機能性大腸炎の患者さんは痩せておられましたので、仰向けの状態なら腸が動き出すとわかるのです。鍼を打って30秒もしないうちに腸がゴロゴロと動くのが肉眼で確認できます。正直、内科の担当医に見せてあげたかったです。鍼灸治療で刺鍼直後に腸が動き出すという結果を。


主人公がどうして治ったか?それは是非映画館で見てください。驚くことで奇跡が起こって治りますが、西洋医師は奇跡という言葉を口に出しません。口に出したいのでしょうが、それを出すと自分の今までの学びや経験を否定することになると感じているのでしょう。ちなみにですが、むずむず脚症候群という治療方法のない疾患を聞いたことがありますでしょうか?患者さんたちはとにかく足がむずむずして眠れないという。これがどれほどの苦痛か、想像できますか?この疾患が強い尻餅をついただけで完治した、と言う事実もあるのです。なぜ?西洋医師たちがこの疾患の原因や機序を色々考えて研究していますが、それが本当にそうなのか?と言いたくなります。やはりどうやっても西洋医学というのは、人間を『機械』としか見ていないということです。人間は生きています。機械じゃないのです。交換してしまえば元の状態に戻る訳じゃないのです。なぜこのことがわからない?と不思議でなりません。先に少々ネタバレになりますが言っておきます。主人公の少女が奇跡的に治った原因は、彼女に偶発的(偶然というものも実は存在しないのですが)に起こった機械的要因じゃありません。これだけは先に言っておきます。もっと根源的な要因によって治癒が起こります。ここがこの映画の最も大切な部分です!


主人公が奇跡的に治癒した理由(?)を教会で母親が話します。このときのスピーチに、あの有名なアインシュタインの言葉、

人生には2通りの生き方がある。

1つは、奇跡を信じない生き方。

もう1つは、すべてを奇跡と信じる生き方だ

を引用します。この言葉の意味がわかる人がどれほどいますでしょうか?


こういうにわかには信じがたいストーリーに対して、必ずこういう人間が出てくるのですよ。劇中にも出てきます。それは、『本当に難病だったの?たんに有名になりたいだけのでっち上げじゃないの?』という人間が。心底腹が立ちますわ、こういう『自分が他人から注目されたいという欲求を満たされないから、たまたま注目された他者を非難する』という腐りきった人間を。今の日本のネットもマスコミもコレデスよ。こういう腐った人間が多すぎるのです。


子供が難病になった時、親というのはもの凄く苦しみます。このときに間違っても『自分に罪があるから子供が苦しむのか?』とか、『子供に罪があるからなのか?』とわけのわからない考えを持たないようにしてください。(劇中では、主人公の少女の母親が教会の友人達から言われます。全く、そんな輩は友人でも何でも無いです!)そんな考えをしたところで何が変わりますか?そう思って自分や子供を苦しめれば、子供の病気が治るとでも思うのですか?もしそう思い込むことで子供の病気がよくなるのなら、どれだけでも思い込めば良いのです。ですが実際は、こんなどうしようもない下らない考えを持ったところで、何の解決にもならないのです。


いいですか、罪じゃないです。罪じゃないのですよ。キリスト教は『原罪』という考えで信者を縛り付けます。これ自体がまさに『罪』なのです。キリストは原罪なんて言っていません。彼が言ったのは、彼のことを無知故に理解できない者達の罪を引き受けます、と言っただけのことです。人は産まれながらに罪があるとは一言も言っていません。ならどこから原罪なんて言葉が生まれたか?後の教会が、信者たちを教会に縛り付け、金儲けと権力を維持するために『作り出した』ものです。そして、それを未だに言い続けて信者たちを苦しめているのですよ。この物語でも、母親は凄く苦しみます。自分を責めるのです。そして自分と同じ考えを持たない、そうじゃない旦那を責めます。これはほとんどの母親がそうなるでしょう。母親だからかもしれませんが、あまりにも近視眼的ですわ。私はこの父親(獣医)のスタンスが親として素晴らしいと思いますし、かくあるべきだ、と思います。楽観的の方が良いのです。当然、逆の場合もありますよ?父親の方が悲観的で母親の方が楽観的という場合も。要点は性別じゃありません。本人にとっても、家族にとっても、悲観的になれば何か変わると?そう思い込んでいるだけなのです。悲観的になることには意味がありません。悲観的になることで子供の病気が治るのなら、私なら自分の命すら投げ出しても何ら惜しくありません。ですが実際、親がそうしたところで子供の病気が治りますか?


主人公の女の子が、苦しんでいるときに、そのあまりの苦しみ故に『死にたい』と言います。その気持ち、この苦しさ、想像するだけで泣けて泣けて。そしてそれを言われたときの親としての辛さにも、もう涙腺が崩壊でした。西洋医学の痛み止めは、一定時間をおかなくてはいけないのです。多分、使われていたのはNSAIDsでしょう。個人的にはモルヒネを使った方がよかったのでは?と思いますけど。ここは私は薬学の専門家ではないので間違っているかもしれません。私なら『モルヒネを使ってくれ』と言います。


ボストンの小児科専門医が主人公が奇跡的治癒に至ったこと、これを心底喜びます。これは同じ医療者として心底共感しました。医療者として、患者さんの状態がよくなること。こんなにうれしい事は無いのです。私も何度も、自分の予想を超えて患者さんが劇的に回復される経験をしていますが、驚くよりただただ患者さんの回復がうれしくて仕方ありません。ここで『俺の治療方針のお陰でよくなったんだ』という医師や治療者はクズです!医療者が患者さんに出来ることは、実はほとんど無いのです。医療者の一番大切なこと、それは患者さんの治ろうとする、元々患者さんが持っている自己治癒力をいかに引き出す手助けが出来るかどうか?なのです。今の西洋医学、そして東洋医学の治療者たちでも、この最も基本的なことが欠如している人間がいかに多いことか!


上記、アインシュタインの言葉の通り、後になって思い返してみればまさに『奇跡』の連続と言うことが起こって主人公の女の子は治ったのです。まずは病気になったこと。ボストンの小児科に行ったときに最初に出会った受付の女性。初めて入った病院のそばのレストランのウェイトレスと出会えたこと。同じ病室になった同世代の少女。なぜか家の庭の枯れ木に昇ったこと。枯れ木に昇る前にきれいな蝶が目の前を通り過ぎてその枯れ木に止まったこと、等々。そのこと、つまり奇跡の連続と言うこと、奇跡は存在するという事実を認識することの大切さをこの映画は訴えます。母親はこのことを、わが子の疾患を通して学んだのです。奇跡は信じていない人の元には訪れません。信じるというのは心の底から信じることです。うわべで『信じている』と言っているだけの人には訪れませんよー。神しか奇跡を起こせないと狭い見方しか出来ない人。違いますよー。人が奇跡を起こすのです。人が奇跡を起こせるのです。と言うことは、聖書にあるように、神は神に似せて人を作られた、と言うことです。つまり、人は神の一部で或る、と言うことです。


今年一番の霊的な映画です。そして、この実話と同じ事が日々世界中で起きています。この記事を読んでいるあなた自身も、あなた自身が奇跡の産物だとわかりますか?今この瞬間を生きていられるという奇跡を認められますか?
 

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