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2015年8月 9日 (日)

ルック・オブ・サイレンスを見てきました

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。


昨年公開された『アクト・オブ・キリング』(私の感想はこちら)は加害者側から見たドキュメンタリーでしたが、今作は逆に『被害者側』から見たドキュメンタリーです。公式ホームページはこちら。個人的ランクB。

アクト・・・でも人間の醜さというか、人間というのはここまで落ちることができるのだ、ということを見せつけられ、人間でいることに嫌気がさしましたが、今作でも同じ気持ちを味わうどころか、加害者というのは自分がしたことを決して認めようとせず、とにかくいかなる理由を付けてでも逃げようとするということをわからせてくれます。

冒頭から背筋が凍えます。虐殺をした加害者集団が作った政府ですので、今の子供たちに教える教科書も、虐殺者たちにとって都合のよいように書かれて子供たちに教えられているという事実に!!子供たちは何も知らず、過去に起こった虐殺が正当なもので、殺された人たちは全て共産主義者の危険人物たちだった、と教えられているのです。事実はまったく違います。この部分だけでも、『歴史』って本当に正しいの?と。学校で教えられることは決して『正しくない』と疑ってかかり、自分で調べて判断しなくては、なにが真実なのか隠されているかもしれないという事実。そういう意味では、今の日本は心底危険です。秘密保護法ができちゃいましたから。政府にとって都合の悪いこと、国民に知らせてはまずいことを諸外国とは違ってほぼ『無期限』で国民から隠すことができます。真実からほど遠い嘘を国民は教えられる可能性が非常に高いのです。

想像してみてください。自分の家族を殺した輩が一緒の村に、すぐ近所に今も住んでいると言うこと。そしてその殺人者たちは、被害者たちの金品などを奪い、今では立派な地位に就いていると言うこと。被害者たちは、今も加害者たちに何かされるのでは?とおびえながら生きているのです。

映画の中で主人公のアディ、彼の目的は単純なんです。加害者たちに聞きたいだけなんですよ。なぜ兄を殺したのか?それも最も残虐と思われる方法で。そして加害者たちはそのことを今どのように反省しているのか?アディはただただ彼ら加害者たちが今反省しているのかどうか、謝罪の心を少しでも持っているのかどうか?を知りたいだけです。

ところが!ところが、です。加害者たちは誰一人反省していないという恐るべき事実が次々に判明します。被害者家族であるアディが目の前にいると、彼を追求し始めるのですよ。今更昔の話を蒸し返すのか?!過去の話だ。忘れろ。おまえは政治の話をしに来たのか?!等々。アディはなんら政治の話なんてしていません。何故兄を殺したのか?と問うただけです。加害者たちはなぜか政治の話をするなといって逃げるのです。そして『忘れろ』と言ってきます。なんですかね、この『忘れろ』という態度は。この加害者たちは(日本の安倍をはじめとする自民党の政治屋たちも全く同じですが)他者の立場に立ってものを見ることができない、非常に、非常に未熟過ぎる人間と言うことを自ら証明しているのです。

アディが居ないところで撮影されたとき、加害者たちは嘻嘻としてどのようにアディの兄を殺したのか、殺したその場所で説明し、そのあとに記念撮影までするのです!(この殺し方はなぶり殺しとしか言いようがありません。それほど凄惨きわまりない殺し方です!それを嘻嘻として語る心理が私には全く理解できません。)ところが目の前に被害者家族が出てきたとたん、責任逃れをする。軍に強制されたのだ(実際は軍は何一つ強制していません。無言の強制はあったのは間違いないですけどね。軍は、そして政府は軍が民間人を虐殺したと報道されたら世界から大変なひんしゅくを買うから、民兵をあおって無実の人たち100万人を虐殺させたのです)とか、政治の話をするな、とか。現在、議長になった加害者は平気でこう言い放ちました。「理想の国を作るためには必要なことだったんだ」と。無実の人を100万人虐殺してできた国が『理想の国』と言えるのでしょうか?それは本当の意味で万人にとって、国民にとっての理想の国ではなく、加害者たちにとって都合のよい国でしかありません!!

認知症になった加害者とその娘さんとアディが面会したシーンでは、加害者は自分の娘に自分が無実の人たちを虐殺していたと言うことを一切話していなかったことがわかります。私はここで、娘さんが初めて自分の父親が虐殺者であり、今この瞬間目の前に家族を殺された被害者が居るのですから、ショックを受けつつも自分の親のしてしまったことに対して謝罪するのか?と思っていたのです。しかし、実際はこの娘はアディに対して、加害者である自分の父親を『本当の父親と思っていいのよ』と言い放ちます。もう惚けている老人だから許してやって、とも。私たちは家族よ、とも。あなたが被害者家族なら、こんなこと言われて納得できますか??自分の家族を殺した輩を『父と思って』だと?!!アディの表情が、彼の目が忘れられません。

別の加害者家族(加害者自身はすでに死んでいましたが)と会ったとき、加害者の妻は『知らなかった』と言いますが、これは嘘ですね。理由はその当時を旦那と一緒に生きていたこと。虐殺のあとに裕福になったこと。加害者が死ぬ前に撮影された映像に、この旦那自ら自分たちがしたことを本にして出版したこと、そしてその映像に彼の妻も一緒に写っていること。にもかかわらず「知らなかった。ごめんなさい」と平気で言うその心理!息子たちはショックを受けつつ、アディに対して、そして撮影者であるジョシュアに対しても非難の攻撃を始めます。自分たちの今の家や地位と言ったものが、父親が無実の人たち虐殺し、その殺した人たちから没収した金品などで得たものだということを知ったにもかかわらず、です。

加害者の一人が証言しました。『自分が狂わないために被害者の生き血を飲んだから、自分は今もこうして狂わずに生きているのだ』と。いやはや、今思い出しても背筋が凍り付きます。正常な精神が耐えられるわけ無いのです。虐殺行為というものに対して。狂って当然です。ですが、被害者の生き血を飲めば狂わないという迷信がどこからともなく生まれ、そして実際にそれを実行したという加害者たち。おぞましいなんて言う言葉すら生やさしいと思います。人間がすることではないとしか言えません。

できたら前作のアクト・オブ・キリングも見て欲しいです。今ならレンタルビデオで借りることもできます。

この映画のタイトル、ルック・オブ・サイレンス。主人公アディのまなざしです。沈黙の視線。これ以上無いタイトルです。

まだ近場で上映していたら、ぜひ行かれてください。加害者たちが、権力者たちが被害者たちをどうあつかったのか、そして今現在もどう扱っているのか。なにより加害者たちが自分のしたことを一切認めようとせず、責任逃れすること。人の上に立つ人間なら、してはいけないことを『全て』見せてくれます。今の自民党の糞政治屋たちも全く同じことをしているし、今後もするでしょう。奴らも人の上に立ってはいけない種類の腐りきった人間です。

私も留学中、インドネシア人の友人が何人も居ました。当時、インドネシアからアメリカに留学すると言うことは、かなりの金持ちや権力者しかできなかった時代です。この映画を見て、ふと気がつきました。彼らの父親は、もしかしたら虐殺に荷担した人間じゃないのか?ということに。彼らの家の財力や権力というものは、無実の人たちを虐殺して得たものじゃないのか?と・・・。

前作、今作と見て思いました。加害者が自らの犯した罪を心底理解するときと言うのは、自らの犯したことを再度再現しなければダメなのではないか?と言うことです。ちょっと思い出す程度ではなく、何度も何度も思いだし、そしてそれを実際に体を動かし、他人の目の前で再現するまでは理解できないのでは、と。他人の目の前で再現するまで、多くの加害者というのは自分が何をしたのか、被害者の苦しみを100万分の一ですら理解できないのではないか?と感じました。

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